Super bole

スーパーボール

 君は跳ね返る。まるでスーパーボールのような人だ。覚えている? スーパーボール。小さいころ、お世話にならなかったかな? なってないとしたら嫌だなぁ。

 スーパーボールっていうのはゴムを丸くして跳ねるようにしたやつのことなんだ。地面にたたきつけると、すごい勢いで戻ってくる。マンションの四階ぐらいからコンクリートの地面に叩きつけても、戻ってくるぐらいの凄い代物なんだ。たぶん、そんなに跳ね返って戻ってくるものはスーパーボールぐらいなんじゃないかな。そのぐらい唯一無二なものなわけ。

 そう、失礼な話なんだけど、君はそのスーパーボールに似ている。僕が何かすると跳ね返ってくるんだ。周りの人は君のことをツンツンしているねと表現するけれど、それはちょっと違うと思うんだ。ツンツンしているのなら指先にちくりと刺さるようなものだけれど、君は残念ながらその程度じゃあないんだ。投げたことで跳ね返って戻ってくるってわけじゃなく、そこで跳ね回り続ける。そう、いびつなスーパーボールなんだろう。

 今の子供のおもちゃについては疎いから、まだ存在するのか分からないけれど僕が小さい時にはスーパーボールにを作るおもちゃがあったんだ。ゴムの粉を接着剤みたいな液体と混ぜて、固まらせるとオリジナルの模様のスーパーボールができるっていうやつだ。面白いものだろう? スーパーボールなんて腐るほど店で売っているのにさらに作れという。けれど僕はそれに手を染めたんだ。誰にとってオリジナル、唯一無二には憧れる。価値観量産型世代の僕らにとっては当然の化学反応だと思うんだ。その手製のスーパーボールはたちまち自分のお気に入りとなった。その誘惑を拒否する理由もないからだ。

 僕は昔それをよく弾ませて遊んでいた。そりゃスーパーボールだから、弾むさ。手製のスーパーボールは大きさが野球のボールぐらいあって。手にしっくりくるし、市販のスーパーボールよりも大きかったんだから。威厳っていうか、尊大っていうか、スーパーボールにそんなものを求めるなんてどこかおかしいことなのだけれど、わかるだろ? 少なくともかつては少年だったみんなはさ。

 しかし、それには大きな欠点があった。その時を向かえるまでには、その欠点に僕は気づかなかったんだ。

 ある日、自作のスーパーボールを弾ませていたら、表面の部分が若干でこぼこし始めたことに気づいた。けれど、地面にぶつけてたんだからそんなものだろう、ぐらいにしか思ってなんかいやしなかったんだ。だから大したことじゃないと気にしてなかった。そしてその前日、タイミングの悪いことにテレビでマンションの何階かからスーパーボールを投げて戻ってくる、というのを見ていたんだ。そりゃ、試してみたくなるだろ? 自分の自信作のスーパーボール。しかも、テレビででてきたものよりも大きく、重く、そしてカラフルだったんだ。マンションの高いところから投げたら、凄いところまで跳ね返っていくんじゃないか? 小学生の浅知恵はそう思った訳さ。

 だから俺はその当時近所の四階建てのマンションに上った。身を乗り出して外をみると、うちの一軒家からとは全く違う風景がそこには広がっている。たぶん、凄いことが起きる。若干の手汗とオリジナルのスーパーボールを握り締める。地面はとても遠い。きっと僕が落ちたら死んでしまうだろう。けど、スーパーボール、お前は違うだろ?

 もう分かってると思うけれど、結果は地面に当たったところでボールは砕け散った。バカン、という音とともに、5つ以上のパーツとなり、粉々と言ってもいいかもしれない。そんな状態になった。そのときの僕はそれに凄い後悔したなぁ。ショックだった。やらなきゃよかった。絶対的なオリジナルであるそれは、人間が落ちたときのように、帰らぬものとなってしまった。そのことはかなりショックだったんだけれど、泣くほどでもなかった。唖然とした、というのが正しいのかな。跳ねるためにあるスーパーボールが跳ねずに砕けるとは。僕の考えにそれは全くなかった訳。

 そう、その件のスーパーボールに君は似ているんだ。よく跳ね返る。しかしあまりにも衝撃が強いと、結果として砕け散ってしまうという脆さもある。もちろん一度砕けてしまうと、二度と戻ることはない。あの日、スーパーボールとともに砕け散ってしまった、僕の中の軽くてくだらない信仰心のようにさ。

 そういうわけで、君は砕け散らないでいてほしいな。僕ももう、あの日のマンションで握り締めた以上先のことは起こらないようにするよ。君が跳ね返ってくるのはかまわないけれど、そのまま砕けて帰らないようにならないように。