*インコンプリート「オウン」(ICO)

 学校という現実を無くしてコントローラーを握る。僕がいる現実はここにはなくなる。 

 世界を救う。そんな崇高な夢はない。ただそこにある、僕のじゃない目的に耳を傾ける。 

――おいおい、違うだろ。向かい合うべきものはそこじゃない。 

 彼がつぶやく。僕は見えない手で耳を塞ぎ、ただ画面を眺める。タイトルコール。君と出会う。 

*** 

 僕は生まれたときから頭に角を生やしていた。理由はわからない。人に聞いても、誰もが首を振るばかりで教えてなんてくれなかった。きっと理由なんてみんな知らないのだろう。 

 角が生えているこどもは僕だけじゃなかった。ほかにも二人ばかり僕より先に生まれた人がいた。角の生えた僕らは、僕ら以外には友達なんてできなかった。僕らが角のない子たちと言葉を交わすと、決まって彼らの親がその間を引き裂いた。彼らの親は僕らのことを口々にイケニエ、と呼んだ。 

 僕はその意味がわからなくて、お母さんに聞いてみたことがある。ねぇ、イケニエってなに? 

 僕のお母さんはそれを聞くと悲しそうな目で僕を見たあと泣きだした。それ以降、僕はイケニエについて気にすることをやめた。僕と、角のないお母さんや他の人たちとの間にはとても大きな壁がある…それに気付いてしまったからだ。 

 ある日から僕らイケニエと呼ばれるこどもは徐々に村から減っていった。鎧をきた大人がひとり、ひとりとどこかへつれて行ったのだ。連れ去られた彼らは戻ってはこなくなり、ついに村にいる角ありは僕だけになった。 
 そして夏の日、僕の順番になったらしく鎧をきた大人が僕のところへきた。彼らは蔑むような目で僕を見るとさぁ行こう、とだけ言った。傍にいたお母さんはにこりと笑って僕を送り出した。それを見たらなんだか、それでいいんだと思った。僕がいないほうが、お母さんは幸せなんだ。 

 僕は鎧をきた大人につれられて馬に乗り、いくつもの丘を越え、遠く離れた城の地下室へとつれてこられた。そこにあったひとつの石造りの牢に僕を閉じ込めると大人たちは立ち去る。その瞬間に悟った。あぁ、僕はここで死ぬんだ。 

*** 

――まだ物語は始まったばかりだ。やめるなら今のうちだぞ。 
彼が耳元で囁く。首を振ってそれを振り切った。やめてどうする?僕の現実はここにはない。 

 なぁ、思うんだよ。僕らは何で人間なんだろう?意味もなく人間に生まれて、意味もなく成長し日々を紡いでいる。僕らは人間をやめることはできないし、休止もできない。僕らはなぜ、人間という仕事をやめられない?このまま死んでも、なにも残らないというのに。 

*** 

 どのくらい経ったのだろう? 僕が意識を取り戻すと、いつのまにか僕を閉じ込められていた牢には亀裂が入っていて、脱出できるようになっていた。 
 何で亀裂が? そういえば…大きな地震があったのを覚えている。それで頭を打って意識を失ったのだった。たぶんこの亀裂もその地震でできたのだろう。 

 亀裂から牢を脱出すると、とても開けた部屋にでた。そこはとても大きく、僕のいた村ぐらいなら軽く入ってしまうであろうというほどの広さだった。 

 上を見上げると天井はとても高くて、どのくらいかもわからなかった。天井近くにはいくつか窓が着いていて、まだ昼間であることはわかった。天井をじっと眺めていると、そこになにか鳥かごのようなものが吊されていることに気付く。なんだろうあれは? 

 壁沿いについているら旋階段を駆けのぼる。途中、息が切れそうになるけれどそんなことはどうでもよかった。ただ目に映った檻が重要で大切で……ただただ走った。 
そして、僕は、檻に閉じ込められた君と出会った。 

*** 

――危険だ。これ以上進んではいけない。戻れなくなる。 

 知ったことじゃない。僕と彼女は確かに出会ったのだ。それは画面の向こうの現実であり、こちら側の現実でもある。僕と、彼女は、確かに出会った。 

 僕が彼女と初めて出会ったときの印象はなにかに囚われている、といったものだった。それは周囲の期待であり、羨望であり、蔑みであった。 

 彼女は何に対してもそつなくこなし、争いを拒んだ。スポーツもよくできたし、勉強も常に上位をキープしていた。人付き合いだって悪くなかったし美人だった。そしてなによりピアノを弾くのが上手かった。 

 彼女はそのためにいつしか周りからのこうあるべきだ、というイメージに取り囲まれていて、その通りに生きていた。そこには彼女の意志は介入しておらず、ただ無言の暴力でそうなっていた。たぶん誰もそれには気付いていないだろう。彼女も気付いていないかもしれない。だけど僕は知っている。僕だけが知っている。彼女が時折見せる哀しげな表情を。目に見えない吹き溜まる澱みを。 

*** 

 君は誰? 声をかけても彼女は反応しなかった。僕が近付いて檻を開けると、彼女はやっとこちらに気付いたようだった。彼女は僕が知らない言葉を話した。僕にはそれは理解できなかったけれど、なんとなくそれは助けを求めている響きだと思った。 

 僕は彼女の手を握ると駆け出した。彼女もそれについてきた。 

 そして僕らの脱出が始まった。 

*** 

――いつまで逃げるんだ?そうやって。 

 いつまでだって逃げるよ。彼女も、そして彼女も、本来なら手を離してはいけないんだ。僕らがいるべき場所はここじゃない。ここにいてはいけない。彼らに……目に見えない色々な暴力から逃げ出さないといけないんだ。 

*** 

 彼女の手を引いて城を走り回った。途中、手ごろな棒を見つけるとそれを持ち歩いた。たびたび彼女を狙って闇が襲い掛かってきた。それは鳥や狼、ときには蜘蛛のような形をして襲い掛かってきた。僕は棒を振り回してそれらを追い払った。彼女を渡すわけにはいかなかった。彼女を失ったら僕は大切なものを失う、ということがわかっているからだ。この世界には離してはいけないものがある。僕の世界を維持するには、君の手を離してはならないのだ。 

*** 

――そうだよ。君は手を離すべきではないんだ。それは向こう側でも、こちら側でも、だ。君が手を離すことによって得るものはない。君が手を引き続けたところで得るものもない。けれど、君はその手を離してはいけない。すべては走りだしてしまったんだ。僕らは振り返るわけにはいかないんだよ。 

 うるさいだまれ。僕は耳元で囁く彼に言う。たしかにもう立ち止まれないし振り返れない。これは始まってしまったことなのだから。 

 思い出せ。あの夕暮れの日、彼女の手を握ったことを。あの日、僕が抵抗したところで何か変わったか?何も変わってなんていないだろう。そんなことわかってたよ。けれど抵抗するしかなかった。夜がこないように、闇を振り払うことで精一杯だったろう?それはきっと守ることが重要だったのだ。僕の手には立派な剣があるわけでもないし、目の前には倒すべきものがあるわけでもない。ただそれでも振り払うべき闇はあった。守るべきものがあった。悪意のない暴力、理不尽な期待、才能の側面、その闇たちは僕の敵ではないはずだったのけれど、それが彼女の敵になるならば僕の敵に他ならない。 

*** 

 城の主人である魔女が目の前に表れる。魔女が杖を一振りすると、それは目に見えない衝撃波を生み出し、僕を吹き飛ばした。僕は壁に叩きつけられ、その衝撃で途中で手に入れた剣を落としてしまう。その僕に魔女は続けて衝撃波を撃ち続ける。そのたびに僕は壁に叩きつけられ、頭の角が折れる。自分の角から血が吹き出るのがわかる。意識が遠ざかる。彼女の顔がぼやける。世界が逆転する。意識が薄まる。 

 ただここで離したら、僕の心も離してしまう……。 

 体を起こし、立ち上がる。膝が笑っているのがわかる。そんなこと知ったことか。足元にある剣を拾い上げる。しっかりとグリップを握り、正面の魔女を睨みつける。魔女もこちらを睨みつける。僕は駆け出す。衝撃派が幾重にも飛んできたけれど、もう止まらなかった。止まれなかった。 

 ここで止まったら、彼女がいなくなる。 

 角は折れても、意思だけは折られはしない。 

*** 

 僕は携帯電話のボタンをプッシュする。呼び出すのは彼女の番号だ。彼女が出るまで、数回のコール音にじっと耳を傾ける。 

――いったいどうしたというんだい? 電話なんてしてどうするんだ? 

 決まっているだろうそんなこと。僕の心を失わないために、意思を折らないために、彼女の手を握ってこちらへと引き戻すんだ。それはとても大変なことかもしれない。どれだけかかるかもわからない。 

 だけど、そうしないと、僕の意思は折れてしまう。 

 コール音が鳴る。コール音が鳴り続ける。それは遠く、耳の奥に響き続ける。