街。

 僕が生きているこの街はひどい場所で、一言で表すと田舎が都会になろうとして失敗した街、と言えるだろう。

 内情はそれよりもひどくなっていて、誰も使わない公共の大型歩道橋に税金は消え、昼間から酒を浴びる大人が歩き、夜には狂った喚き声が路上に跳ねる。誰かが倒れても誰も気付かず、あるいは気付こうとせず、毎日を過ごしている。

 君ももし立ち寄る機会があれば見て回るのもいいかもしれない。路上に残るトシャブツ、目の前を通ると卑猥な言葉で喚きちらす人、頭を丸めた右翼、どこかしら(ある意味)こちらの世界からでていってしまった人、溶け続けている銅像、むせるほど汚れた空気、客を探す外国人の呼び声、洗脳するかのようなパチスロのBGM。それに対立するひっそりとした商店街、大型ビル、ネクタイを締めたサラリーマン。ちぐはぐな風景。

 そのなかで僕は生きている。滑稽な世界。誰もが誰かに助けてもらいたいはずなのに、誰も助けを叫ばない。




 …今日の天気は曇り。今朝のニュースを確認すると、遠くの街で起こった火事について、高校生の集団レイプなどを報道していた。これは表のニュース。火事で二名亡くなり、三名の女性が汚された。ただの日常的な報告。リアリティなんてなにもない。

 けれど世の中には表じゃないニュースというものがある。現実的にはどちらかというと表じゃないニュースのほうが深刻だろうと僕は思う。慣れてしまって(もしくは感覚がマヒしてしまい)新鮮味が無いゆえに報道されない中小企業のリストラ、株価暴落により資産を失った人、自尊心を傷つけられたくないがゆえにオープンにされない犯罪。いろいろある。犯罪にせよ違うにせよ、誰かが傷つき、誰かが損なわれ、誰かが笑い、誰かが得る、その誰かわからないことのほうが、この世界に与える影響が大きいだろう。

 まさに僕が住む街はそれをミニチュアにしたようなものだった。公にはされない卑劣な犯罪、なにかを搾り取ろうとする怪しいネオンサイン、そしてただ搾り取られるのを楽しむ人たち。

 …けれどこの街には誰もそれを疑問に思う人などいない。それが当然のルールであり、その枠のなかで生きている。
さて、このルールは果たして誰が決めたものなのだろう?

 三年前、僕にはある女友達がいた。今では彼女は完全に損なわれてしまった存在だ。ある日、それは完膚なきに、徹底的に、淘汰されてしまった。

 彼女は明るい女性だった。といっても喧しい、というほどではない。辛いことがあっても無理してでも笑顔でいるような女性だった。

 僕と彼女はよく話をした。趣味も一致したし、価値観も非常に近かった。それによるよくある同族嫌悪というのも僕らの間にはなく、どちらかというとひかれあう関係だっただろうと思う。

 けれどある日、彼女とさよならすることになった。最後にあった場所は病院の真っ白な病室だった。そのとき、話してる間には彼女が一度も笑わなかったのを覚えている。

 どうして彼女が病院にいたのか、呼び出されるまで僕は理由を知らなかった。その理由は当人から聞かされた。直接的な表現はしないけれど、要するに徹底的に汚されたということだ。

 彼女は約一週間後に病院の屋上から身を投げた。内蔵破裂の即死だったらしい。

 彼女にとってこの街は最後までどのように映っていたのだろう。もう確認するすべはない。

 けれどこの街にもう少し、彼女が苦しめられないという保障があれば、彼女にとってこの街はいい街に映ったかもしれないと思う。もしそうなら、たぶん僕から見たこの街も、とても違う印象にとれただろう。