*プラスティックナイト

 寒い夜、煙草の煙だけが辺りを照らす。遠くでは虹色のネオンサイン、そして陽気なミューズィック。同じ世界なのに、そこには大きな溝がある。埋めようのない溝。

 コツコツと音がする。これはいったい何の音なのだろうか。定期的になる音。世界との境界線が薄くなっている僕には、それが遠くの音なのか近くの音なのかは判別できない。なんの音かもわからない。

 紫煙を吸い込み、吐き出す。空に星が見えないことを確認する。まるで、濁っているような光景。僕の目のようだ。

 楽しく陽気なレインボーワールドから遠ざかる僕の足。残念ながら、君たちのパーティーにはいつまでも付き合っていられるわけじゃないんだ。できれば終わりまで一緒にいたいけれど、それは不可能なんだ。どうしようもない事実。なんとも逆らいがたい事象。

 ポケットの中の小銭を数える。かちり、という小さな音。遠くからは深く響く今年の流行のポップチューン。同じ音でもこの二つの音の違いはなんなのだろう、と思う。片方は気分を高揚させ、片方は切なさ――刹那さしかかもしださない。この境界線もなんなのだろう。

 コツコツと音がする。もしかしたら、これは僕にしか聞こえない音なのかもしれない。

 まぶたを閉じると、いつでも思い浮かべることができる。君の歌声、君の動き。今日の君は一段と輝いていたね。けれど残念ながら、君は彼のものであって僕のものではない。僕は手を触れることすら許されないだろう。そんな感じ。

 遠くで電車の走る音が聞こえる。そろそろ終電の時間じゃないだろうか?

 僕は闇夜の光を数える。家までにはまだ大分距離が残っている。考えることは十二分にある。君の事、僕の事、世界の事、物事の境界線、名前という存在の定義……無限に考えるものは存在する。けれどどれも考えなければならない問題、というものでもない。どちらかというと、僕らの存在する「そこ」においてはそんなことは些細なことだろう。

 だから僕は、闇について……暗闇について考えようと思う。

 紫煙が昇る。コツコツという音が響き続ける。

 さて、闇というものはなんなのだろうか。僕らはこの広い宇宙のなかの一つの星、地球と人間が呼ぶ星に住んでいる。闇、というのは観測者がいて初めてその存在が成り立っている。闇、というのは別の形で言うならばなんていえばいいのだろう。光の当たっていない、暗い部分といえばいいのだろうか?

 そもそも闇というのはよく、なにかがあるという表現で使われている。理由はわからないが、少なくともそういう場面が多いと思う。なにかやましいことがあれば、闇ではないけれど近い意味で黒い、などと言うし、未解決な事件なども真相は闇の中、とも言われる。確かに、闇の中では僕らの目は利かなく、物事の判別はつけられない。それはしかたのないことなのだろう。僕らはそう言う形にできている。

 闇を判別できるのは、名前という便利なものを所有している人間だけだ。人間が観測者となって、初めて闇というものが確立される。それは確かである。

 では、その観測者から見て、闇というのはなにかがある、ということなのだろうか? 否、それはないのだろう。宇宙を見てみればわかる。光がないところに闇がある。闇がないところに光があるわけではない。現実ではそうなっているが、そうではない。光と闇、どちらが面積が多いのだろうか、というとそれは闇のほうが多い。それはもともとなにもないところを闇が占めていて、一部光るものがあるから光が存在する、ということである。

 例えば、太陽が存在しなかった場合、そこに光はあるのだろうか。本来ならないであろう。まぁ、そういうことだ。

 そういえば君に、昔そういった話をしたことがあったような気がする。君は笑って「変な人だね」と目を細めていったのを覚えている。僕はそのとき、顔をしかめたのを覚えている。

 コツコツと音がする。深く遠く、それは響く。

 再度闇について考えようとする。けれどそれはすぐに取りやめた。意味がない。つまりそういうことだ。考えてもしょうがない。それは当たり前のことだからだ。きっとみんながそう思っている。だからこそ誰も闇について考えようとしない。考える必要がないからだ。

 なので僕は考えることを放棄し、ただただ煙草を燃やす。遠くからはまだポップな音が風に乗って流れてくる。

 考えてみたら、どうして僕らは知らない人の誕生日を祝い、聖夜と呼ぶのだろう。僕のことを知らない人が、僕の誕生日を祝ってくれるのだろうか? ……それはないだろう。少なくとも今頃彼女がしていることを想像し、それが正解しているかどうかの確率よりも低いことはたしかだ。

 コツコツと音がする。これは足音なのだろうか? ああ、もしかするとこれは、僕のドアをたたく音かもしれない。僕に扉を開け、と誰かが催促しているのかもしれない。どうなのだろう? 僕にはなにもわからない。

 空を見上げる。相変わらずの曇り空。僕はその向こうへ行こうと思う。行くところを想像する。あの分厚い雲を突っ切って、薄い闇夜のカーテンをめくって……その先を想像する。君のいない、僕のいない、名前のない、光も闇もない、ただただ広がる世界を想像し創造する。現実には不可能でも、僕の世界では可能だ。少なくとも、煙草の煙が照らしだす場所では可能だろう。

 闇について、知らない人の誕生日について考えるよりも、その世界を夢想するのが今は断然重要だ。そう思った。

 コツコツとドアをノックする音が聞こえる―――。