*夢の亡くなり方

 彼は私とテーブルを挟んだ反対側でくすりと笑った。 

「何がおかしいの?」 

 私の質問を聞くと、彼はゆっくりと首を左右に振った。 

「いや、なんでもないんだよ。ただ美咲は自分が死ぬときのことを想像するのかなって思っただけさ」 

「なんで自分が死ぬときのことを想像するの?」 

 私は意味が分からず聞き返した。何で今、ファーストフード店で私と向かい合っていたら自分が死ぬときのことを想像するのだろうか? とてもというわけではないけれど、その理由は気になった。 

「俺はね、いつも自分が死ぬときのことを想像しているよ。たぶん俺はホームレスとかそういう人と同じように公園で一人寂しく凍え死ぬんだと思う。 

 俺は今まで色んな死に方を想像してきたよ。酔っ払って海に落ちて溺死、電車に轢かれて鳥のササミ、交通事故、肺ガン、感染症とかね。ありとあらゆる死に方を想像し、シミュレートしてきた。 

 けれどそれはどれも失敗だった」 

「失敗?」 

 死に方を考えることについて失敗する、なんて概念は聞いたことがない。 

「そう、失敗だ。俺達が死ぬ上で重要なファクターであるもの、それはリアリティだと思うんだよ。それは、絶対的な、手に取れるようなリアリティ。それが重要なんだ。 

 果たして酔って溺死する、ということにリアリティがもてるか? 少なくとも俺は酒を飲んだ状態で海に行くことはない。それは絶対だ。’それはそうだ’ときまっていることだからね。世の中には認識してるにせよしていないにせよ、そう決まっているものがある。 

 次に電車に轢かれて死ぬ。これもなかなかないだろう交通事故もそうだけれど、この死には残念ながらリアリティが存在していない。リアリティのファクターが一切介入する余地はない。リアリティのない死は死である前に死ではない。人間は観測者であるからこそ、生きている時には死を感じ、死にそうな時には生きているということを実感することができる。それができない死は、想像上欠陥が多いとしか言いようがない。 

 そうやっていくつかの可能性を模索しているうちに一番リアリティを感じられて、そして現実的にありえる死に方をといえば一人寂しくのたれ死ぬ。それしかない。残念ながら俺達は空腹時の辛さを知っているし、一人でいることの耐え難い寂しさ、冬の寒さの厳しさ、そしてそれで毎年死ぬ人がいるということを知っている。すなわち一番身近にあるリアリティのある死、というのは公園での死ではないかと思うんだ。 

 だから俺は将来、公園で一人寂しく凍え死ぬ。それがたぶん、一番現実的なものなのだろうね。それ以外はきっと夢なんだろうと思うよ」 

 彼がコーヒーカップを口元へと運ぶ。私はそれを見つめることしかできなかった。ただただ揺れるコーヒーの水面をじっと眺めて、反射する光の変化を捕らえようとすることしかできなかった。 

* 

「それで、あなたはこの人生が夢だったと思う?」 

 私は横たわる彼の手を握り、問いかけた。彼の手はとてもしわだらけで、ところどころ皮膚が硬くなっていてごつごつしていた。 

 私の質問を聞くと、彼はにこりと笑う。 

「夢だったと思うよ。夢だったんだ。けれど叶ってしまったから、これはもう夢とは言えないかもしれないね」 

 彼はそう言うと、息子や娘、孫に見守られながら息を引き取った。彼が亡くなってからも私は彼の体温が若干残る手を握り続けた。

 ごつごつして決して見た目は綺麗ではないけれど、これが私の大好きだった夫の立派な手だと、ちっぽけだけど幸せな夢を見てそれを叶えた夫の手だと、私は全世界に向けて自慢したい気持ちだった。